On the table
学校以外の生き方シリーズ第二回


学校で学ばない生き方、学校で学ばない価値観
私の知らない世の中を知ってる人に聞いてみたい・・・
学校以外の場所でどう生きるか、何を学んだが・・・

学校以外の生き方シリーズ第二回のゲストは
若干25歳にして国際協力NGO『風の会』会長を務める
宮瀬英治さんにお越し頂きました。
お仕事の合間を縫ってアフガンに旅立つ直前です。

大企業の内内定をもらっていた大学4年生当時の
宮瀬さんがなぜ休学してアジアに旅立ったのか
そこで何と出会い、何を考えたのか・・
どうしてNGOを設立し、
アジアの子ども達を助けるために頑張っているのか・・・

赤裸々な悩みや苦しみも含めて語ってくださいました。

自由という名の
風が吹く場所へ

  
ーNGO風の会
/アフガンからの報告ー


 
12.15(日) 14:00〜16:00
 
ユースプラザほっとハート


 
第二回企画:ふじわらやすえ
 第二回ゲスト:宮瀬英治
 座談会参加者:13名(内青少年4名)


 
 名刺の表には「人間 宮瀬英治」と肩書きが印刷されていた。NGO代表としてではなく、あくまで一人の人間として人と出会い、人に対してゆきたいという宮瀬さんの気持ちだ。中学生の時は何も考えていなかったという、高校生の時も、大学生になって少し考え出したという、障害者補助のサークルへも入ったという(有名になる前の乙武さんが同級生だった)。そして21歳の冬、友と居酒屋で馬鹿話をしながら飲んでいた。憧れの人物について語った。坂本龍馬と秋野豊(元筑波大教授、タジキスタンで国連のPKO活動中に殺害される)が好きだと言うと、友は・・『あこがれの人物は判った。で、お前は何をした?』と宮瀬さんに問うた。その言葉が稲妻のように彼の全身を貫いた・・『俺は、憧れの人物をただあこがれのままにしていた・・追い越そうともしなかった』・・彼は悩んだ。就職も内定している・・親もいる・・ストレスで角膜を病み、目が見えなくなったという。そして思った・・こんなに悩んでいて、もし今行かなかったら一生後悔する。何でも人のせいにして一生変れなくなる・・彼は日本を飛び出した。大学を休学して一年間、カンボジア、インドネシア、スリランカ、インド、ネパール・・アジアの12か国に飛び込んでいった。
 一番辛かったのは?とYさんが聞いた。「9割は辛かったです」と答える。・・カンボジアで泥の中にフェンスを建てていて足を骨折し、バクテリアが入って寝ていた。家に帰りたいと思った。家族の温かさを思い、自分の傲慢さを思った。ホームシックになって2時間ほど泣き続けた。カンボジア・タイ国境ではゲリラに襲われてマシンガンを突きつけられた。怖かった・・親不孝だと思った。そんなこんなで3度死にかけたという。

 東チモール独立の争乱の頃、インドネシアで井戸を掘っていた。鉄の棒で手掘り、男のロマンだったが3週間でひとつしか掘れなかった。帰り際に「祝ってやるから何か芸をやれ」と井戸掘りの師匠に言われた。行ってみると近隣の村々から1500人の人が集まっていた。5分で終わるインチキ手品を15分に延ばし、「インドネシアのお米サイコー!」とかMCを入れて・・・必死の思いで終わって、師匠に「チャランポラン」と言われた。「駄目だったかなあ」と思ったが辞書で調べると「帰るな」という現地語だった。涙が出た。

 空港で台湾で地震が起きたという記事を読んだ。自分は行ける立場だと思った。飛行機に乗って台北に行き、震源地を目指した。大学で学んだはずの中国語は通じなかったので紙に『我助来台湾人』と書いてバスの運転手に見せると、バスを止めて避難の人のいる教会に連れて行ってくれた。

 暗殺されたロバート・ケネディ(ケネディ大統領の弟)の言葉に『ワンマン・カウンツ』というのがある。たった一人からでも何かが出来る。深い穴の底から這い上がってこようとしている者に向かって小さな希望のタイマツを掲げることができる。そこに集まって来た人々がやがて世界を変えて行くかも知れない。アジアの国々でいい汗は色々かいたが、自分の能力の無さ、無力感を味わった。だが、自分には志がある。旗をあげてみよう。集まってくれる人もいるかも知れない・・と最初は大学のサークル、そしてNGOを立ち上げた。それもすんなりいったのではなく、一回潰れかけたり、10キロ痩せたり、女の子にふられたり・・色々あった。そうして2000年4月に結成した「風の会」が今、東京・名古屋・岡山・山口・福岡に拠点を持ち、100人以上のメンバーを擁して活動している。

 カンボジアに親を失った子供達がいる。男の子は道をそれ、女の子は売春婦に(そして多くはエイズに)なるしかない子ども達、でも彼らの心は腐っていない。やさしく素晴らしい子ども達だ。子ども達が作った自治会組織はクメール語で『開きつつある花のつぼみ』という名前・・花が開くように背中を押してあげる追い風になりたい・・・という気持ちを込めて「風の会」と名付けたという。東京のメンバーたちが彼らを支援するチャリティ・コンサートを開催した。このお金で英語の教師を支援する。彼らが英語をできるようになれば別の職業につけるからだ。
 休憩の後、アフガニスタンについて話して戴きました。

 カラチからペシャワール、ビンラディンが潜んでいるともいわれていたハイバル峠方面へ向かったがアフガニスタン国境の向こう側へは入れなかったそうです。

 難民にも色々あって、米軍のアフガン侵攻の難民だけでなく、近年の干ばつによる難民、ソ連が侵攻したときの難民、そして・・貧しくて移動する費用がなく、難民にすらなれない人たちがいる。世界からも国家からも存在を認識すらされてない難民たちがいる。「キャンプ」といってもテントがあるわけではなく、土の壁と草を葺いた屋根だ。救援物資はかなり横流しされている。また、現地で国連の職員が豪華なプール付きの家で暮らしている事にも違和感を感じた。NGOにも色々な団体がある・・・。とにかく自分で現地に出向いてみた。そこのキャンプで「外部から来た初めての人」と呼ばれた事は誇りに思っている。今月末にも10日間ほど行ってこようと思っているがまだ親には言えてない。前回は15万くらいだったが今回は50万円くらい持って行けそうだ。自殺旅行だとか、「物」だけ送った方が渡航費がいらなくて良いのではとも言われるが、「物」だけでなく「希望」をあげたい。1500人分の文房具も持って行ったが、むしろ1500人の子ども達に向かって話した言葉が一番の支援だったかも知れないと勝手に解釈している・・・『確かにアフガニスタンの現状は厳しい。でも明るいアフガニスタンを作っていくのは君たちだ。勉強してがんばってくれ。そのためのきっかけとして、これをあげる。一生懸命勉強してくれたら、お兄ちゃんはまた会いに来るよ。』

 ミルクはその時200箱しかなかったので小さい子を優先にした。あげられる子とあげられない子がいた。帰りの車の中で思わず涙が出てつぶやいた。「何人を救う事ができるんだろう・・」「人数は大した事じゃない。お前がそういう気持ちを持ったという事が大事なんだ。」通訳兼護衛の飲んだくれオヤジが答えてくれた・・このオヤジ凄いなと思った。

 タリバンは意外なほど現地では評判が良かった。現在はタリバンが居た頃より治安も悪くなったと現地の人は言う。頭で考えたり喋ったりする事より現地に出向く事、自分で体験する事が大事だと自分は思っている。

 今死んだとしても後悔しない生き方をしている。今日外へ出た途端に交通事故で死ぬかも知れないし・・太く短く、運が良ければ長く・・やらせたいことがあるなら天が生かしておいてくれるかも知れない。自分のやりたい事をやって死ぬなら納得できる。ただ、家族の事はジレンマがある。行くと言えば親は泣くし・・迷惑をかける会社の人にも申し訳ないと思っている・・・今日来たのは過去こうだったとか、こんな事をやったという事を伝えたくて来たんじゃなくて、今、苦しんで悩んで、何を考えているのか、何をやりたいと思っているのかを中学生に伝えたかった。吉田松陰の「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」という言葉が頭の中で廻っている。別にアフガニスタンに行けとかいう事でなく、自分の人生を真剣に生きてみて欲しい。『誠』という漢字は『言葉』を『成す』と書く・・自分で考えた事、やりたい事を実行する。身体で感じてみる。そこから開けてくると思います。もう若くないという方も・・若者の定義は自分でそう思っているかどうかだと思うので・・若者の特権は失敗が許される事です。失敗して、失敗から学んでください。人の痛みがわかる人になって下さい。ひととの出会いを大切にして、1日1%づつでも成長していってください。

 この後、カンボジアに国際電話をして中学生やFさんと話させた(英語は苦戦していた)。「次は君の家でね」と電話を切って「英語を勉強するように、向こうの子は貧しいからこそ必死に勉強するよ」という話。「志があれば拙い英語でも伝わるから」と。質疑応答の中、危険について「基本的には一人で行く。死ぬかも知れないから、人の命に責任持てないし、人を守りながらはやっていけないから・・見た目は現地の人と明らかに違うけれど、現地の人と友達になってれば大丈夫、やはり現地の人はどんな危険があるか一番良く知っているから・・支援物資は現地で調達した方が物価が安いし、僅かでも現地の経済を潤すし・・」とリアルな話、ODA担当者とかに聞かせたいような話もありました。

 
(記事はお話、質疑応答を基に白神貴士が再構成したものです。)
「風の会」設立の経緯
当時早稲田大学4年生であった宮瀬英治が大学を1年間休学し、 アジア各国にて国際協力活動を実施。その中で一人であることの無力感を 感じるものの、「身寄りの無い子どもたちへの優しい追い風になりたい」 という強い志から、2000年4月、風の会が国際協力サークルとして 早稲田大学にスタートしました。その後、サークルという枠を超え、 国際協力団体としてさまざまな問題にぶつかりながらも、共通の思いを持つ 学生や若手社会人が協力し、そして何よりも多くの人々に支えられ、 現在の国際協力団体「風の会」が成り立っております。 2001年12月現在、東京・岡山・福岡・名古屋・山口に活動拠点があり、 各地域とも連携・協力しながら、それぞれ子どもたちの自立の追い風になるべく 活動をしています。なお、こういった経緯により設立された国際協力団体「風の会」 は特定の団体や政治団体、宗教団体とは一切関係はございません。

(風の会HPより)


風の会HP
http://kazenokai.com


乙武さんと同級生でした。

国際協力行動隊「風の会」設立趣意書


すべての子どもたちが、
未来への希望をもてる社会が理想です。

しかし、世界には、明日さえ定かでなく、
今も泣き、飢え、死んでいく
子どもたちがいるのです。

私たちは
それをずっと知っていました。

しかし、私たちは何かを
しようとはしませんでした。
それは、私たちが、自らの可能性を信じず、
理想を持っていなかったといえるのです。

ここで、私たちは思いを新たに誓います。
たとえ小さくとも、
私たちの確かな情熱と愛が、
子どもに希望の明かりを燈し、
未来への扉を開く
追い風となることを確信します。

そしてここに、
国際協力行動隊「風の会」の
設立を宣言します。


(風の会HPより)

【企画者コメント】

思っているだけでなく、行動すること、まず口に出すこと=自分の気持ちを表明することが出来れば何かが変わって行くのではないかと今日の会を企画しました。彼を通じて世界と繋がるような事、彼の想いに寄り添うような行動をしてみたいのでアイデアがあったら寄せてください
(ふじわらやすえ)

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